2018年7月11日水曜日

土偶や埴輪を”割る”理由、「わく(分く)」と「わる(割る)」

 古代の遺跡が発掘されると、特にそれが墓や墓域と見られるものの場合、遺骸のほかにさまざまな副葬品が出土する。とりわけ有力者の墓からは多数の土器や鏡などが副葬されているが、多くの場合それらはことごとく割られている。これは埋葬後に壊れたのではなく、明らかにあらかじめ壊された上で遺骸のそばに置かれているという。縄文時代の土偶も弥生時代の埴輪も通常は破壊された形で出土する。
 このことについてはさまざまな解釈や説明が行われているが、もっとも多く見えるのは死者の”よみがえりを封じる”ためということである。人にとって死は究極の忌みごとであり、故人のよみがえりによって祟りが起こったり、道連れにされることを恐れるためという。だが、これは残された近親者の感情とは明らかに矛盾する。近親者にとっては故人には帰って来てもらいたいのである。たとえ一瞬でいい、もう一度あの笑顔を見たい、その声を聴きたいというのが本音であるはずだ。よみがえりを封じるという考えは受け入れ難い。
 ところでわが国における葬式では、葬儀が終って出棺の際、故人が日常使っていた食器、特に飯茶碗を門口の敷石の上に投げつけて割る習慣がある。これは仏教とは無関係の日本古来の風習である。このことと古い時代の土器や銅鏡の破壊とは深いところで結びついているのではないか。そのことは和語に反映されていると見る。つまり「わく(分く)-別れる」ということと「わる(割る)」ということは、もう一代さかのぼると一拍語「わ」に帰する同語である。つまり、埋葬に際して故人にとって最も身近で大切なものであった、或いは権威の象徴であった土偶や埴輪や鏡を割るということは、とりもなおさず別れを告げることにほかならなかった。故人の”茶碗を割る”ことも同じく”さようなら”を言うことであった、と考える。

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