2018年7月16日月曜日

「まだまだ」-「不十分」な(md)縁語群

 諸辞書の教えるところによれば、「まづし貧」の本来の意味は「不十分である、足りない」ということのようである。例えば生計を営む上では、まだまだ必要十分な物資や資金を得ていないことを言っていると言う。また、完成にはほど遠い、未完成である、ということも言っている。「まだ」十分でない、「まだし」、イ接語「いまだし」である。
 上記をもとに、(md)縁語と思われるものを列挙してみれば次のようになるであろう。

まだ/まだまだ、まだき、まだし、いまだ/いまだし(未だ)
まぢ貧、まぢし/まづし/まどし(貧し)、まづ(先づ)、まで(迄)
みぢかし(短し)〔必要な長さに達していない〕
むだ(無駄)
めづらし(珍し)
もどかし、もどく/もどき、もどす/もどる(戻す)

 いずれも”まだ十分でない”という雰囲気である。現代語「まづし」はただ”貧窮”の意であるが、これはかなり新しい使い方と思われる。「まぢ貧」は、海彦、山彦の段に「まぢち(貧鈎)」という成句で出てくるが、おそらくそれだけで今日に伝わっている語であろう。語釈は難しい。

 「みぢかし短」が浮かぶが、これは仮名使い上サ行語「みじかし」が正しいとされている。ところが「みぢかし」であれば「帯に短したすきに長し」で、帯にするにはまだ十分でないという点でぴったり合うのである。ここでは「みぢかし」をとる。
 いささか無理筋のようであるが、「むだ(無駄)」がここに入るように思われる。
 「めづらし」「もどかし」は、考えようによっては縁語と見ることもできそうである。「めづらし」は、当たり前、ふつう、ありきたりになるにはまだ十分でない、まだ十分でないので「もどかしい」である。
 「もだす」と「もどす/もどる」は、もとはひとつか。「もだす」は、まだ十分でないのでそうなるまで待つ、放置する、「もどす」はまだ十分でないのでそうなるまでおし返す、待つ、放置する。

0 件のコメント:

コメントを投稿